ダークナイト・ライジング ☆☆☆☆☆
とにかく素晴らしい映画だった。
空気に重みが存在する。
クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト・ライジング』
ゴッサム・シティに悪が再び現れ、それと対等するために引きこもりだったが嬉々としてバットマンに復活しようとするウェイン。
そんなウェインをアルフレッドが進退を賭けて諌めようとする姿に感涙。そこまでして、アルフレッドはぼっちゃまを愛して御身を心配されておられたのですね。それでもなおバットマンとなり悪と戦うウェインにはもっとアルフレッドを大切に思ってあげて欲しかったけども、だからこそラストのシーンで感動。ちゃんとアルフレッドの言ったことを覚えてた!
と、いうか、ウェインは実は悪と対峙するのが嬉しいんじゃないかなと。
始まりは父親が悪に倒されたその復讐のために強くなって悪と戦っていた。それが、いろんな柵により身動きがとれなくなっていたけれども、今回はその柵もなく戦える。ゴッサムの悪に復讐できる。だからこそ、彼はアルフレッドの死んだ彼女の話を聞いても心に響かなかったんじゃないかなとか妄想。
しかし、キャットウーマンは影が薄い。そんなに重要な人物に思えなかったなぁ。それよりも、ジョンがいい味をだしてた。彼のラストは震えるね。
あの最後の演出はまさにRiseで締めくくられてた。
ジョンが乗った台座が登っていく。ただ、それだけで私の胸はドキドキした。
明確な描写がないからこそ、彼の今後を想像する。
物語を自由に想像できる最後って素晴らしい。映画が終わった後も心の中から物語が生み出されていくから心に残るからね。
というか、伝説の終わりと始まりのカットが交互に描き出されていて、ここで興奮しない人はいないでしょう!
(話は飛んで)
全編にわたって、登るカットがあったし、反対に落ちる(爆破させて地面を陥没させつとか)があったけども、あれは悪と正義を対比させてたのかなあと。
あと印象に残ってるのが、市民による上流階級、警察の人を裁判にかける場面。
裁判官がどっかで見たことあるなーと思ってたらスケアクロウでしたね。
(と、まあ、それは置いといて)
規定なき裁きは個々の嫉妬や不満が集まった野蛮なものにしか思えなかった。
正義ではなく鬱憤晴らしの的となる。
しかし、市民に権力を与えると善意というものは消え失せるものなんだろか。それは悲しい。
ただ、今回のダークナイトのゴッサムの市民とされる人たちはマフィアにしか見えなかったんですが・・・。(善意があるであろう)市民は家に閉じこもってた描写もあったし。
となると、あの戦争はまさしく悪人VS正義だったと。でも。警察の中でも自らの昇進のためにベインを逃してバットマンを追っかけた人もいたなあ。単純に正義ともいえなさそう。うーん、無法を好むものVS秩序を重んずるものって感じかな。
というか、結局ベインたちが何をしたかったのかよくわからない。(そして、私も何が言いたいのかよくわからない)
そんな闘争の中で行われるバットマンVSベイン。主人公VS敵って誰も居ないところで戦うイメージがあるんだけども、これは違う。群衆が争っている場所で戦っている。そう、彼らもまた世の中の大多数の中の一人なのだ。ただ、彼らの代表としてスポットが当たっているだけ。悪VS正義はどこにでもあることなのだと。
それは、私達にもあるのだと。
(追記:もしかしたら群衆の中の一人がこの2人の光景をみているという視線でカメラを回してたのかなぁ。より一層リアルさを出すために。)
しかし今回もハンス・ジマーはいい仕事をしてくれてた。
音楽がより一層映画を更に盛り上げるているというのが身に沁みました
サントラはもちろんゲット。しかし、これは映画が一緒じゃないと真価を発揮できない。まさしく映画(のための)音楽。
前作、前々作と一緒にBlueRayでBoxになったら買おうかな・・・