ねこのひとみ

本や映画の内容を忘れないようにする

猫の瞳

華竜の宮 ☆☆☆☆☆

作者は海が好きで、海の生き物が好きで、子供の頃にくじらやイルカと一緒に海を泳ぎたい、一緒に暮らしたいと夢を抱いた人だったのかなと思わせる作品でした。

魚と秘密基地を合体させたような魚舟。子供の頃に憧れた自由で雄大に生きていく姿を体現する海上民。そんな子供の夢をカタチにした感じがします。

 

ただ、私が読んでいてワクワクしたのはアシスタント知性体だね!やっぱり!

私が人工知性体が好きな理由は、人間と人工知性体が表面上はコミュニケーションを取れているけども、根本的なところで価値観が違っているところ。それでいて、人工知性体のほうが自分たちとは違う複雑な価値観や感情を抱く人間に興味を持っていればなお面白くて好きなのです。

全く異なる価値観を持つ人と知性体がいかにコミュニケーションを通してお互いを理解していくのか。はたまた相容れないのか。これは一種のロマンだと思ってます。できれば私は人と人工知性体に友情を育んで欲しい。いや、利害関係だけもいいな。ノルルスカインみたいな。うん、人と人工知性体がどういった関係になろうと好きなんだろうな。

そして、この華竜の宮では人と人工知性体の理想的な共存関係を描いているところがすごく面白かった。青澄とアシスタント知性体=マキの関係に終始ワクワクして読んでいた。本当に二人の関係が素敵な関係だった。互いが互いを大切に思っている存在だというのが会話からわかるし、物語の途中でマキが青澄に自分では論理の部分で青澄を支えることは出来ても感情といった繊細な部分を支えることは出来ないから、異性でも同性でもいいから青澄を支えてくれる人間のパートナーを持つべきではないかと提案するんだけども、青澄はそれを拒否するシーンがある。そしてラストで青澄がマキに別れを伝える言葉にうるっとしっちゃたよ。

「ありがとう、マキ。君がいてくれてわたしはとても幸せだった。君は私にとって、人生で最高のパートナーだったよ。」

 

そして、物語は大部分が青澄のアシスタント知性体=マキを通して語られていたけども、ほかの人物視点ではアシスタント知性体ではなく人間なのはどうしてかが不思議だったんだけどもラストの展開を読んで納得がいった。この物語は青澄の物語でなくマキを通して青澄を、そして人類の終焉の行き先を見つめているからだと思う。

「彼らは全力で生きた。それで充分じゃないか」

 

 

人と人工知性体の友情を描いたのが陸上民である青澄とアシスタント知性体のマキでした。

反対に(反対に??)人と人以外の生物の友情を描いたのが海上民であるツキソメと魚舟のユズリハでした。海上民は魚舟を朋と呼び、一生を共に暮らします。魚舟は海上民の居住区であり朋であり家族であり。一心同体の生き物でした。(アシスタント知性体も一心同体だったなそういえば。補助脳といった物理的な状態としても。)

お互いがお互いを大切に思いやっている。それはたとえ魚舟が獣舟となって陸上の人間を食べようとも、その絆は繋がり続けてました。

また、この獣舟を通して、自然の厳しさである食うか食われるかの関係、それをただあるがままに受け入れなければならないといった描写もありました。これは人間だけが地球で特別で生物界の頂点にいると思ってはいけないということかなと思ったのですが、どうだろうな。

 

 そして、人と人以外の生き物と人工知性体の繋がりが描かれたのがタイフォンと月牙(ユエヤー)とツァンだと思います。1人と1匹と1体が連携して海軍に立ち向かっていった瞬間胸が熱くなりました。だからこそこの1人と1匹と1体が海の底に沈んでいった時は涙が。理不尽な蛮行から仲間を守るために苦しい立場に立たされても諦めずそれでも仲間を救おうとするタイフォンの生き様がかっこよくて、好きなキャラクターでした。しかし最終的には仲間も殺されていき朋である月牙もツァンも動こけなくなる。それでも生きてやるという熱い想いを一瞬で無にされて海の底へ沈んでいくのは本当に辛かったです。

ところで、「一人と一匹と一体」って何かを思い出すなーと思ったら、神林長平敵は海賊シリーズの登場人物であるラテルとアプロとラジェンドラだ・・・・。

悲しい気持ちが一気にはちゃめちゃな饗宴状態になったぞ笑。

あ、そういえばマキ(アシスタント知性体)とツキソメ(海上民)とユズリハ(魚舟)と潜水艦(陸上民)の連携という更に上を行くのがあったわ。タイフォンが好きだったからつい。いや、タイフォン達が海に沈むシーンはほんと辛かったもので印象に残ってたんだな。もっと活躍してくれると思っていたから余計に。

 

閑話休題

 もうひとつこの物語で面白いのは、<交渉>だと思う。

人と人との間の見えない駆け引きのひりひり感。難題を交渉、しいては言葉だけで事態を動かしていくことにワクワクするね。言葉のキャッチボールの水面下で行われる駆け引き。こういった会話が好きなんだなぁ。全く駆け引きについていけないけどもさ笑

 交渉に使う言葉も、言葉通りに受けとめると悪意が見えてくるけども、裏を読むと最大限の譲歩だったり手助けだったりする人間の複雑さが面白いし、人のツテ、根回しといったものも面白く感じれた。大切だよね、根回し。めんどくさいけども。

あと、精一杯の交渉をしたがそれは相手の手のひらの上だったとかね。怖い怖い。

そして、青澄が最後まで誠実にいようとしているのがなんか良い。権力や暴力よりも誠実な言葉が人を動かすことが出来るだなんてキレイ事では済まない部分もあるがそれでもそれを望む、その青澄の誠実さとそれを折り曲げなければならず冷酷にならざるをえない瞬間。その苦悩。それが物語のスパイスでもあったなーと思った。綺麗事だけじゃ生きていけないのも事実。ただ、それでもあがき続けた青澄に拍手。

 

 

とまあこんな感じで、とにかく面白かったです。途中どうやって物語をまとめて終わらせるのか予想がつかなかったのですが、よい幕引きだったなと思いました。人類は滅びようとも<人類の夢>がある限り物語は続いていくような気がして。

そして感想を書いていろんな要素が交じり合っているなぁと改めて感じました。

(あげてないけども、地球のプレートやらマントルやら地球の持つ強大なエネルギーの怖さや、科学者達による後世への道標というか警鐘というか検証やデータの積み重ねやら、遺伝子改良やら、人類の夢やら、人工知性体が人間とのコミュニケーションから人間性を持つてたのかやら。ほんと、多様な考える要素が散りばめられてるなぁ。)

なにより、もっとこの世界観で物語を生み出して欲しいと思いました。

リ・クリテイシャス直後の混乱の時代、マキ(コピー)は人類の夢にたどり着けるのか、そして人類は本当に滅亡したのか。どれか小説にならないかなぁ・・・。

 

って、調べたら<オーシャンクロニクル>シリーズとして『深紅の碑文』という長編小説がありました!短編でも2作品あるみたいだし、私の読んでみたい時代かは分からないけども、今度読んでみよう。

 

最後に印象に残った言葉をあげます。

「プルームの冬で人類が滅びるー。これは、ある程度予想できる結末だ。(中略)人類だけがその災厄から免れられる、そのための資格があると考えるのは、ある種の傲慢というものだ。しかし、人間の傲慢さは夢を生む機関にもなり得る。ただ滅びるのを待つだけでなく、何かひとつでも残せたらー。(中略)人類は心安らかに滅びることができるんじゃないだろうか。夢というのは、そういう意味だよ」