ねこのひとみ

本や映画の内容を忘れないようにする

猫の瞳

セッション ☆☆☆☆☆

映画「セッション」を見ました。凄かったです。

最初は人と目線を合わせれない自信のないドラムの人がラストで鬼教師をがっつり睨んで鬼気迫る勢いでドラムを演奏し続けるのは熱かった。そして敵対してる2人の言葉にできない絆。(まぁ鬼教師の敵視はワザとでしょうが)

 

こういった視線が合わない2人(というか片っぽが合わせれない。自信ないから。)が、教師側の敵意というか発破に対する怒りによって視線を合わせて前に進む感じ、英国王のスピーチでもあったなーなんで思いました。英国王のスピーチの場合は2人が同時にフレームの中にいて視線が合わないんじゃなくて、一人ひとりのショットなんだけも上手いこと目線が合ってないのが表現されてて面白かったんだよねー。あと画面の左右の空間とか。

 

とまあ、英国王のスピーチ(もちろんオススメ映画です)は置いておいて。

 

DVDでセッションのショートフィルムもあったから見たんだけど、場所の設定って大切だなーって思った。ショートの方は鬼教師が指揮して演奏している部屋が光が入って明るい場所なんだけど、映画の方は窓のない暗い地下みたいな部屋でその場所自体が生徒が鬼教師をどう思っているのかが分かるよね。

閉鎖的で息苦しく逃げ場がない空間。うひー怖い怖い。あの部屋、あの空間だからこそより一層鬼教師の怖さが引き立ちますわな。生徒たちみな鬼教官が怒りだした瞬間お通夜のように下を向いて俯く。暗い、暗いぞ。

 

で、セッションのキーワードに「悔しさ」があると思うんだよね。鬼教師に怒鳴られバカにされて悔しい。同じ切磋琢磨してるドラマーの人に演奏者の場を奪われるのは悔しい。家族に音楽の道を進んだことをバカにされるのが悔しい。なにより鬼教師に主人公のドマムの子が「悔しいか?!悔しいと言え!!」と何度も大声で言わすシーン。

何度も言わすことによって悔しさを際立たせてやろうという鬼教官の心意気、怖いです。でも、悔しいと思わないと伸びない部分がある、まさに、悔しさをバネに出来るか、ということでしょうね。悔しさをパワーに変換できる人こそ飛び抜けた何かになれるんだろうね。(まぁ鬼教師はやり過ぎな気もしますが)  悔しくてもそこで諦めたら終わりってね。

でも、そうやって悔しさをバネにするからこそ突出した才能も生まれるのかも。

優しく丁寧に教えていく今の時代で推奨されてる教育方法は型に収まった平均をみんなに取らせるやり方なのかもしれない。

でも、あれは怖いなー。鬱にもなる。

私は優しく教えてほしいタイプですね!

 

あと、この映画は楽器の取り方もかっこ良かったな。

よくありそうなのは楽器と楽器を演奏している人を同じ画面内に収めて撮りそうだけども、セッションでは徹底的に楽器がメインだったように思う。

楽器がいかにカッコイイか。

 

唯一例外は、ドラム(それでも基本的にはいかにドラムという楽器がカッコイイものかを主軸にしてましたね)とコントラバスの人。

いや、あのコントラバスの人はええ人やで。ちゃんと主人公の合図で演奏に入ってあげたんだもん。ええ人やで。きっと。

 

と言った感じで、セッション、熱く、面白かったです。

JAZZ音楽も聴いてみたくなりました。

今度サントラあれば買ってみようかな〜。